(学院への要望書)

要 望 書
2006年3月11日
文化学院 理事長 松崎 淳嗣 殿
文化学院 校長   西村 八知 殿

「文化学院校舎建て替えに関する要望書について」

この度私共は文化学院の校舎建て替えのお知らせを受け、4月より校舎が解体されることを知り、突然の通知に驚きの念を感じております。
私共は文化学院を巣立ち、各々の専門分野で活動をして参りました。日々の生活に追われ、学院での生活で学んだことは心のどこかに追いやられていましたが、いざ取り壊しの報を聞くと、胸の中にとどめていた想いが日々増してゆき、文化学院で学んだことの大きさと共に、その教育の象徴としての校舎と中庭の持つ意味を切り離すことができないものであることに気付きました。
文化学院の位置するお茶の水界隈は「日本のカルチェ・ラタン」とも呼ばれ、長く学生街として栄えてきました。足を延ばせば神保町に多くの古書店が軒を連ね、町の景観に文化的な彩りを添えています。裏通りを一本入れば、学生達に愛された食堂や喫茶店が今でも訪れるものを迎えてくれます。
また、お茶の水は多くの文化人を輩出した町でもあり、彼らが足跡を残した場所が随所に見られます。こうしたお茶の水が持つ独特な文化的雰囲気は、その景観を構成してきた建築物によるところも少なくありません。
なかでも文化学院はヨーロッパの町並みを連想させるような雰囲気と瀟洒なたたずまいが、お茶の水の顔として定着しており、千代田区では平成10年の「千代田区景観形成マスタープラン」のマニュアルで「都市の美しさを創出する」事例のひとつとして取り上げられております。その後、平成15年には「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定され、行政からもその価値を認められてきました。
周知の通り、旧校舎の設計は文化学院創設者の西村伊作自らが行い、彼が提唱した「楽しき住家」という理念のひとつの理想型と思われます。マロニエ通りに面したツタのからまる薄暗いアーチをくぐり抜けると、そこに広がる明るい中庭は文化学院の自由な精神の象徴でした。文化学院を訪れ、この校舎の魅力に惹かれて入学を決意した若人も少なくありません。
この校舎に愛着を寄せるのは、文化学院で学んだ者達ばかりにとどまらず、近くに住む人々、お茶の水で学んだ人々、オフィスに勤める人々、古書店に本を求めに来た人々など数多くの人たちの心象風景として心の中に刻み込まれてきたのです。
この度、前述したように文化学院への想いをひとつにする者達が集まり、「文化学院を愛する会」を立ち上げ、文化学院のために少しでもできることを考えてゆこうということになりました。
少子化社会に向けて学生の確保はどの学校の経営者にとっても心痛の種であることと思われます。とりわけ少人数で質の高い教育を旨とする文化学院のような学校にとって、こうした時代の趨勢は他の学校にも増して厳しい状況を生んだと想像されます。そうした状況の中、苦慮の末このような選択をされた学院の経営陣の状況を私共も尊重しております。
しかし、創設者西村伊作設計の校舎解体を決定するには、あまりにことが性急すぎるように思われます。現実的に旧校舎の保存には耐震性能、設備の老朽化、工事工法等課題が多いと思われますが、現代の技術と知恵を持ってすれば、さまざまな課題も乗り越えることが可能と思われます。困難にあえて立ち向かう精神こそ、「愛と叛逆」の学院精神を示していると思います。
私共はこの魅力ある校舎を保存し新校舎との共存をはかることによって、文化学院があらたな文化の発信地となり、お茶の水地区活性化の一機軸となるものと信じております。
私共の文化学院への想いをご理解いただき、文化学院建て替え計画を再検討いただけますよう、心からお願い申し上げます。



 (千代田区長への要望書)


要 望 書
2006年3月14日
千代田区長 石川 雅巳  殿

「文化学院校舎建て替えに関する要望書について」

 日頃から区民との対話を重ね、区政に積極的に取り組んでおられる石川 雅巳区長のご努力に感謝いたします。
 【目的】 
このたび、神田駿河台2−5にあります 「学校法人 文化学院」校舎全面建て替え計画にあたり、マロニエ通りに面した1937年(昭和12年)建築の旧館校舎を保存し、新校舎との共存をはかるよう、学院理事会に建て替え計画の再検討を申し入れました。千代田区におかれましては、お茶の水街区の景観形成に重要な役割を果たしている、旧館校舎の保存に是非お力添えいただき、学院側にも働きかけていただきますようお願いいたします。
【背景・理由】
文化学院は1921年(大正10年)西村伊作が与謝野寛・晶子夫妻・石井柏亭などの協力を得て創立し、自由な精神と高い理想を教育方針に掲げ、川端康成、佐藤春夫、高浜虚子、戸川秋骨、阿部知二など著名な作家や思想家、芸術家を講師陣に迎えたため、文化の発信地ともなりました。現在の旧館校舎の設計は西村伊作自らが行い、ヨーロッパの町並みを連想させるような雰囲気と瀟洒なたたずまいは「日本のカルチェ・ラタン」とも呼ばれるお茶の水界隈の景観を構成する顔として定着しており、この校舎に愛着を寄せるのは、学院関係者だけにとどまらず、住民や学生、ビジネスマン、古書店に立ち寄った人々など、多くの方々の心象風景として永く刻み込まれてきたのです。

 貴千代田区においても文化学院旧館校舎は、平成10年の「千代田区景観形成マスタープラン」で「都市の美しさを創出する」事例のひとつとして取り上げられ、また、平成15年には「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定されたことは、私たち学院関係者にとって、強い誇りとなっています。
  現在、古き良きものを残すという価値観が共有される時代となり、千代田区内にもいくつかの事例を見ることができます。現実的に旧校舎の保存には耐震性能、設備の老朽化、工事工法等課題が多いと思われますが、現代の技術と知恵を持ってすれば、さまざまな課題も乗り越えることが可能かと思われます。私共はこの魅力ある校舎を保存し新校舎との共存をはかることによって、文化学院があらたな文化の発信地となり、お茶の水地区活性化の一機軸となるものと考えています。

『文化学院を愛する会』発起人一同            



(千代田区議会議長への要望書)

要 望 書
2006年3月14日
千代田区議会 議長 戸張 孝次郎 殿

「文化学院校舎建て替えに関する要望書について」

 千代田区議会におかれましては、平素より区民及び地区関係者の声に耳を傾け、ご努力いただき感謝いたします。
【目的】 
このたび、神田駿河台2−5にあります 「学校法人 文化学院」校舎全面建て替え計画にあたり、マロニエ通りに面した1937年(昭和12年)建築の旧館校舎を保存し、新校舎との共存をはかるよう、学院理事会に建て替え計画の再検討を申し入れました。千代田区議会におかれましては、お茶の水街区の景観形成に重要な役割を果たしている、旧館校舎の保存に是非お力添えいただき、学院側にも働きかけていただきますようお願いいたします。
【背景・理由】
文化学院は1921年(大正10年)西村伊作が与謝野寛・晶子夫妻・石井柏亭などの協力を得て創立し、自由な精神と高い理想を教育方針に掲げ、川端康成、佐藤春夫、高浜虚子、戸川秋骨、阿部知二など著名な作家や思想家、芸術家を講師陣に迎えたため、文化の発信地ともなりました。現在の旧館校舎の設計は西村伊作自らが行い、ヨーロッパの町並みを連想させるような雰囲気と瀟洒なたたずまいは「日本のカルチェ・ラタン」とも呼ばれるお茶の水界隈の景観を構成する顔として定着しており、この校舎に愛着を寄せるのは、学院関係者だけにとどまらず、住民や学生、ビジネスマン、古書店に立ち寄った人々など、多くの方々の心象風景として永く刻み込まれてきたのです。

 貴千代田区においても文化学院旧館校舎は、平成10年の「千代田区景観形成マスタープラン」で「都市の美しさを創出する」事例のひとつとして取り上げられ、また、平成15年には「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定されたことは、私たち学院関係者にとって、強い誇りとなっています。
  現在、古き良きものを残すという価値観が共有される時代となり、千代田区内にもいくつかの事例を見ることができます。現実的に旧校舎の保存には耐震性能、設備の老朽化、工事工法等課題が多いと思われますが、現代の技術と知恵を持ってすれば、さまざまな課題も乗り越えることが可能かと思われます。私共はこの魅力ある校舎を保存し新校舎との共存をはかることによって、文化学院があらたな文化の発信地となり、お茶の水地区活性化の一機軸となるものと考えています。











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